私は岐阜市出身なのですが、子どもの頃、家族で車に乗っている時、周りには時々乱暴な運転をするドライバーがいたものの、バス・タクシーなどの旅客運送ドライバーは、他のドライバーに対して優し気な運転をする人が多いと感じていました。ですが
大学で関東へ行き、都内をバイクで走るようになった時、東京のタクシードライバーは岐阜よりも強引で不親切だと感じることが多くありました。東京は土地が狭く、地方の道路に比べて50cm~1mほど車線の狭い場所が多いため、余計に危険を感じたこともあると思います。でも気づけば、そんな東京の混雑にも慣れて、狭く混んだ道路をスイスイ走るようになっていました。
大学院で新潟に移り住んだ時にはまた驚きました。基本的に皆スピードを出さず、車間距離を十分に保ち、信号が黄色になれば即座に停止に向かう・・という安全運転のお手本のようなドライバーがほとんどだったからです。太平洋側の比較的奔放な運転マナーに慣れていた私は、最初はそんな新潟の人々の間をマイペースで走り抜けていたのですが、まもなく新潟人の運転マナーの良さが“雪国であること”に由来すると気づきました。新潟は降雪が多く、除雪が入るまでは圧雪路やジャリ雪の滑りやすい道路状況であることが少なくありません。そんな中、太平洋側のノリでビュンビュン飛ばしても事故に遭うリスクが高まるだけですし、信号も赤になると予想できれば速やかにブレーキを操作して、タイヤをロックさせることなく安全に信号手前で停止しなければなりません。
そうして冬に対応する運転マナーが、年間を通して発揮されているのです。それに気づいた時、自分の運転マナーが恥ずかしくなり、新潟マナーに合わせるようになりました。
十数年後、岡山に来てまたまた驚きました。信号が赤に変わるタイミングでどんどん車が直進や右折を続けるのです。完全に赤に変わった後に交差点へ突進する車も毎日見かけますし、脇道から幹線道路に進入する際は「一旦停止」してから、という自動車学校で必ず習うルールを守らない車や、方向指示器を出さずに右左折する車も他の町に比べて目立ちます。令和3年には、信号のない横断歩道を歩行者が横断しようとしている際の、停止する車の割合が全国最低という怪挙(?)を成し遂げ話題になりました。(現在は幾分改善していますね)
岡山に移り住んで間もない2007年のある日、地元の新聞社に永らくお勤めのエライ方に、「なぜ岡山では傍若無人な運転が目立つのか」ご意見を伺ったところ、「岡山は自然が厳しくないから、みんな何も考えとらんのですよ。頭ん中が平和じゃけぇ。」と言われました。直前まで住んでいた新潟の状況と合わせて一瞬納得しかけたのですが、その詳細をどう理解すればいいのか、20年近く経った今でも答えが出ていません。なぜだか分かる方、おられますか?
(初等教育学科 松岡 律)
私が現在研究対象としている太宰治の職業作家としての活動期間は1933年から1948年までの約15年間ですが、これは日本の戦争の時代と重なります。当時は、内務省(占領期はGHQ)による事前の削除命令や発売禁止処分といった検閲が日常的に行われていました。
検閲の基準は詳細に示されなかったため、作家や編集者は当局の意向を忖度し、表現を自主的に規制するようになりました。検閲が内面化されていったのです。中学国語教科書の定番である「走れメロス」(1940年発表)も、こうした言論状況下で世に送り出された作品です。
かつて中学校の授業で本作を取り上げた際、生徒たちからは不評でした。「嫌いだ」と公言する生徒もいました。国語の授業では様々な事情から「友情と信頼のために走るメロス」という定石が強調されがちですが、生徒たちはその「正しい道徳」の押し付けがましさに、本能的な違和感を抱いていたのでしょう。当時の私には、その違和感を作品の深層へと繋げる手腕が不足していました。
もし改めて独自の授業を行うならば、注目したいのはメロスではなく暴君・ディオニス王です。物語の終盤、刑場に間に合ったメロスたちを見て王は改心し、民衆からは「王様万歳!」という歓声が起こります。恐怖政治を強いていた独裁者が、一瞬にして民衆の自発的な支持を得る存在へと変貌したのです。これは鮮やかな権力強化のプロセスといえます。
しかし、小説の展開としては明らかに不自然です。民衆は、王に家族や友人を殺された過去をすっかり忘れています。それは「メロスが必死に走って間に合った」という感動によるものでしょう。王が本当に改心したかは不明です。物語には「その後」が書かれていないからです。
近年の研究ではこのようなことが指摘されています。本作が発表された1940年は、本来なら東京オリンピックが開催されるはずの年でした。その前の1936年ベルリン大会は、ナチスがスポーツの感動を国威発揚と独裁体制の正当化に利用したことで知られています。本作は「スポーツの感動が権力強化に加担する構造」を描いた物語として読めるのです。
改めて読み返すと、冒頭に「メロスには政治がわからぬ」とあり、ひたすら走る場面には「メロスの頭は、からっぽだ」とも記されています。政治に無知な若者が、思考を停止して「正義」のために走り続け、結果として独裁体制に手を貸してしまう。前述の中学の生徒が言った「メロスはロボットみたいだ」という言葉は、案外、この作品の本質を突いていたのかもしれません。
戦時下の作家は、検閲を潜り抜けるために「わかる人にだけ伝わる」表現を模索したといいます。「走れメロス」を感動と権力が結びつく危うさを描いた政治劇として読み直すとき、本作は道徳劇とは異なる普遍性を備えた作品として立ち上がってきます。
(中等教育学科 野口 尚志)
「インド人って毎日カレー食べてるの? 1日3食カレー食べるの? カレーばかりで飽きないの? 日本にあるインドレストランで出てくるインドカレーはマイルドとかもあるけど、本場インドでもマイルドはあるの?」インド出身の私は長年日本に住んでいますが、このような質問をよく受けます。これらの質問は、聞いてくれる日本の仲間の探究心から出てくるものですが、そんな質問を受けて、私自身にも自分の国の食文化に関して探究の問いがわきました。
そもそもインドに「カレー」と言う料理はあるのか? なぜインド以外の人は「インド人は毎日カレーを食べているかもしれない」と思ったりするのか?・・この問いで食文化について学生らと探究してみると、ものの見方や知識が広がります。まず、インドに「カレー」という名前の料理はないことが判明しました。えっ! インドに「カレー」がない! どーゆうこと!?になりますよね。 その訳を自分で探究してみたい人は一旦ここで読むのを休憩し、ぜひ自分で考えて、探究を楽しんでみてください!
「Curry・カレー」は、ヨーロッパの人がインド・アジアにたどり着き、スパイスを使った煮込み料理、汁っぽい料理全般をまとめて言う総称となって行きました。 そういった料理を多くの人が毎日一回以上は食べているという意味では、インドの外の人には、Yes!インド人は毎日「カレー」を食べているという見方が成り立ちます。しかし、インド人同士の会話で、「今日のご飯はカレー」、「今日カレー食べに行こう!」と言う会話はまずありません。そもそも「カレー」という名前の料理がないので、No! 毎日カレーを食べていません!と言う見方になります。例えばチキンを使った料理は様々あって、どれも多かれ少なかれスパイスは使いますが、どのスパイスをどう使うか、何と混ぜるか、地域による作り方の違いなどによって、チキン料理の名前も味も違います。野菜、マトン、卵、豆などの料理も同じです。同じ食材を使った違う料理を食べている感覚です。日本料理に例えて言うと、同じ魚でも、焼くか、煮るか、干すか、どのように煮、焼き、干すか、刺身か、寿司にするかによって感覚が違うのと同じです。
煮物や汁物だけが日本で毎日食べられる「日本料理=和食」ではないのと同じように、カレーだけが「インド料理」ではないことに気付き、またインドのほとんどの人はほぼ食べてないこと、↑写真にあるような辛くない料理、チヂミに見えるような調理なども普通に食べられていることを知ると、探究がその地域の文化、地理、特産物の多様性にまで広がります。
「インド人は毎日カレー食べるのか!?」 答えが1つで良さそうなのに、なぜ全く正反対のYesとNo両方の見方ができるのか!探究の面白さの一つと言えます。
教育学部ではどんな素朴な疑問も、深い問いも、多角的・多面的な探究を通じて小・中・高の教育や、その他の職場、日常場面で楽しめるような学びを学生と一緒に作っています。
(中等教育学科 ダッタ・シャミ)
国語科って、暗記科目でも文学を読むだけの科目でもないんですよね~。
確かに漢字や古文単語とか諸々は知っている必要があるけど、それって結局「道具」なんですよ。国語科の本当の目的は、言葉を使って考える力と、自分の考えをちゃんと伝える力を育てることにもある。
文章を読むときって、ただストーリーを追っているだけじゃない。筆者が何を伝えようとしたのか、どんな理屈で話を進めているのか、行間に隠された意味は何か、そういうことを考えながら読んでいる。これってかなり高度な思考活動ですよね。しかも、自分の考えを文章にするときには、頭の中でぼんやりしていた考えが、言葉にすること、文字にすることよってはっきりしてくる。「書く」って「考える」ことと同じなんですよ。ま、人間、言葉で考えるので、当たり前なんですけどね。
それに、国語の授業では対話も大事にされています。同じ文章を読んでも、人によって感じ方は全然違う。友達の意見を聞いて「そういう見方もあるのか」って気づくことで、自分の視野が広がっていく。対話ができるスキルと対話を通じて自分をアップデートする姿勢、これって社会に出てからも絶対に必要な力。
対話っていうのは、雪合戦のように言葉を投げつけあうのではなく、キャッチボールを続けるスキル(キャッチしてもらえるように投げる)と続ける意思(すぐに分かってもらえるとか思わない(笑))ですよ、月並みな比喩で申し訳ないけど。
だから国語科は、知識を詰め込んだり、小説を、古文を、漢文を「読まされる」科目、じゃなくて、言葉を使って思考し、表現し、人と繋がるための実践的な学びの場なんですよ。この力は、どんな学びにも、そして人生のあらゆる場面で役立つはずですよね。
ちなみに国際バカロレアでは、「すべての教師は言語の教師」と言ってますので、全ての教科で言葉は磨かれるといいですね、国語科には国語科なりの磨き方があるけれどね。
(中等教育学科 福島 浩介)
小学校から英語に触れることができる時代ではありますが、英語を勉強するということになれば、覚えることに抵抗を感じる人は実は減っているどころか、増えているようです。英語は確かにルールがありますが、例外もあります。動詞の過去形を作るには動詞にedをつけましょうというルールでさえも単純ではありません。例えば、「勉強する」(study)という動詞の過去形はstudiedですが、studyのyをiに変えることがなかなか覚えられないと悩む中学校の生徒さんたちもいるでしょう。そもそもなぜ、studyedではだめなのか。そういう疑問を英語が苦手な方は持つことがあるかと思います。
私は岡山理科大学教育学部で英語文学の授業を担当していますが、授業では様々な時代の文学作品を解説します。特に、私の専門は初期近代の英文学で、初期近代(1485年~1660年)のイングランドといえば、『ロミオとジュリエット』などで有名な劇作家ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)が活躍した時代でもあります。初期近代の作品を分析するにあたって、それよりも前の時代である中世英語の時代(1066年~1450年頃)の文献を参照することが多々あります。その中世英語の時代に登場するジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer, c.1340-1400)の作品『カンタベリー物語』(The Canterbury Tales) に今回のstudyがなぜ過去形になるとstudiedになるのか、そのヒントがあります。端的に言うと、studyは中世英語の時代ではstudiが原型でした。ですから、過去形を作るときはyをiにする必要はありませんでした。その証拠として、次のような文章が『カンタベリー物語』にあります:‘What sholde he studie …, ❘ Upon a book in cloystre alwey to poure?’「なぜ修道院でいつも目を皿のようにして本を読んで、勉強(studie)して(中略)?」(The Canterbury Tales, ‘General Prologue’, lines 184–185)(実際の文は画像を参照)。この引用から動詞のstudyはstudieとなっていることに気づくかと思います。当時はstudieという形もstudiの別の綴りとして発生していましたので、あとはdをつけてしまえば過去形になるというわけです。つまり、皆さんが学校で習う「過去形を作るには動詞の後ろにedを付けたら良い」というルールがそのまま使えていました。しかし、その後iで終わる形はyに変化していくわけで、皆さんの良く知るstudyという形になりました。このように、古いものが読めるようになると英語の成り立ちが見えてくる楽しみがあります。
引用文献:MS Ellesmere 26 C 9, <span”>The Huntington Digital Library,<https://hdl.huntington.org/digital/collection/p15150coll7/id/2370> [accessed 30 October 2025].
The Canterbury Tales, in The Riverside Chaucer, ed. by Larry D. Benson, 3rd edn (Oxford University Press, 2008), pp. 3–328.
(中等教育学科 西野 友一朗)
「劇場版『鬼滅の刃』無限城編」が話題となっています。見に行かれた方も多いのではないでしょうか?私も映画館に足を運び、息つく間もなく3時間見入った1人です。
鬼滅の刃の魅力の一つはキャラクターの個性。鬼を倒す鬼殺隊のメンバーはもちろん、鬼の個性も様々で、人間であった頃のエピソードなどに引き込まれます。今回は、心理学の分野で「感情」について研究している立場として、「刀鍛冶の里編」に登場した鬼「上弦の肆:半天狗」に注目してみたいと思います。(以下、半天狗に関する若干のネタばれあり)
半天狗は、切られることで分裂し、「空喜」「積怒」「哀絶」「可楽」という4つの鬼になります。いうまでもなく、喜怒哀楽という人間の感情を具現化しています。半天狗は、様々な感情を表す鬼に姿を変えますが、本体は「怯え」。あらゆる感情の奥に「怯え」が存在しているというのは、感情の研究をしている者として非常に興味深い設定だと感じます。なぜなら、例えば怒りという感情は攻撃的なものと思う人が多いかもしれませんが、怒りの奥にあるのは、自分自身が脅かされるのではないかという怯えであることも多いのです。怯え(恐れ・不安)は、確約のない命を生きる人間にとって根源的な感情です。そして、人間の感情というのは時に複雑なもので、怒りの奥に恐れや悲しみがある、楽しさの裏に不安がある、といったことがあります。人の心に深く寄り添えるようになりたいと思うならば、表に現れている感情の奥にも思いをはせることが役に立つでしょう。
さて、犯した罪から目をそらし、すべてを他者のせいにして被害者ぶる半天狗は、自分自身をも欺いていると言えます。真実から目を背け、最後まで逃げ続けた鬼は、どこまでも弱く情けない存在であったと言えるでしょう。しかしながら、私はこうも考えます。自分の心をよくよく覗いてみてください。そこに、ほんの小さな半天狗が存在していないと言い切れるでしょうか…?人間はいつでも強くあれるわけではなく、時に自身の心をほんの少し欺きながら生きています。自分が真に感じていることは何かを見極めることは意外と難しく、しばしば勇気を必要とします。ただ、それを掘り下げていくと、大切なことに行き当たることも少なくありません。あなたは、自分の、そして誰かの「心」とどのように向き合っているでしょうか?ぜひ考えてみてください。
(初等教育学科 奥村 弥生)

文字があることが当たり前の現代に生きる私たちには、文字のない社会がどのようなものだったのか、なかなか想像がつきません。ですが、人類の歴史において、文字を持たない歴史のほうが、文字を使い始めてからの歴史よりも圧倒的に長いのです。文字を持たない社会において、言葉はどのような存在だったのでしょうか?山口仲美先生の『日本語の歴史』(岩波新書)は、そのような社会では、言葉の威力が非常に強く、言葉そのものが霊力を持っていたことを指摘しています。いわゆる「言霊信仰」です。言葉はそれが表す状態を実現する霊力をもっている、と考えられていたのです。たとえば、罪を犯した人間に対する罰も、その人の名前を変えることから行います。この本には、岡山県にある和気神社に深い関わりのある和気清麻呂公について以下のようなエピソードが紹介されています。和気清麻呂公は「輔治能真人清麻呂(ふじのまひときよまろ)」という立派な名前でした。ですが、時の権力者の逆鱗に触れ、「輔治能(=政治を助ける能力のある)」と、最高の爵位を表す姓「真人」を取り上げられました。さらに、「清麻呂」という名前も「穢麻呂(きたなまろ)」という「醜名(しこな)」に変えられたうえ、流罪となりました。名前にはその意味通りの状態を実現する力があるため、醜名に変えてしまえば、その名前の通りの状態になると考えられていたためです。(山口仲美『日本語の歴史』岩波新書、pp.10-12)
私の知人に、「九」は「苦」に通じ、「四」は「死」に通じて縁起が悪いから自家用車のナンバーには使いたくない、と言う人がいます。言霊信仰は昔の人にだけ関わるものではなく、現代の私たちにも、個人差はありますが、受け継がれているのですね。
(中等教育学科 笹井 香)
ふと聞こえてきたこんな母娘の会話から、私は教育の本質について考えさせられました。答えをすぐに教えるのではなく、子どもが自ら考え、答えを導き出す過程を大切にする母親の言葉は、学校の教師に似ているなあと。教育とは日常の中にある学びの瞬間を捉え、子どもに生きる力や術を育むこと。すぐに成果や結果が求められる世知辛い世の中で、この母娘の会話はとても心地よく、いつもの夕暮れの道が一層明るく感じられました。
(初等教育学科 保森 智彦)
第10回 -図書館を訪れてみよう- 2025年7月
左の写真の建物を何だと思いますか。これは、イングランド中部の都市バーミ ンガムにある公共図書館です。2013年に開館したヨーロッパでも最大規模の図書館です。図書館だとわかりましたか? この図書館には「ウルフソン・センター」と称されるアーカイブがあります。とても貴 重な史資料が所蔵されています。私はイギリスの成人の教育の歴史について研究をしています。今からおよそ120年前の人たちの教育です。かれらのことを知るためには、当時の史料にあたらなければなりません。ウルフソン・センターにもお世話になりました。 ところで図書館は古代からあります。文字文化の発展・拡大とともに探究された知識や技能を保存したり、伝達したりするために設立されました。安原氏によれば、「図書館の誕生は何であれ「学問」とよばれるような知的発展を導く前提条件」です。知識が媒体に記録され、それが史料として図書館で保存されることにより、次世代へ伝達可能になります。そして現存する当時の史料に基づいて真実を探求することによって、私たちの「いま」を理解することができますし、「これから」を予測することができるのです。そう考えると図書館ってとっても魅力的だと思いませんか? (出典:安原義仁・ロイ・ロウ著『「学問の府」の起源』知泉書館、2018年。)
このように、モンゴルの人々は、歌をとおして自然とつながっています。そして、自然の力を受けとめて表現することが、彼らの生きる力の源となっているのだと感じました。

そしてこの“引き出しが増える”という所こそがポイントなのだと思います。私のところ(朱熹の家塾)では、講義の時間は少なく、実践の時間が多い。物事は全て君が自分自身で取り組み、自分自身で考え、自ら己を養っていかなければいけない。書物も君自身が自ら読み、道理も君自身が自ら探究しなければならない。私は単なる道案内人であり、君の成長の見届け人に過ぎない。疑問や問題があれば、君と一緒に考えるだけだ。(『朱子語類』巻13)【※】
「日刊SPA!」 2024年07月14日に掲載された、綾部まと氏のコラムの一部です。氏が「もっと驚いた周りの乗客の対応」とは、「誰も彼女に声をかけない」「そのままスマホを見続けたり、寝たふりをしたりする」ことです。ここまでではありませんが、私も同じような経験をしたことがあります。混み合うバスの中、足元がおぼつかない様子で立つおばあさんを心配した運転手さんが繰り返し「どなたか席を譲ってください」とアナウンスしました。しかし席を立つ人はいませんでした。私は座席が高く座りにくい一番前の席にいましたが、おばあさんを誘導し席をゆずりました。