2回目の今日は、教育学部設置準備室で新学部の立ち上げ準備をしてこられた松岡先生に、新しい学部への思いを聞いてみました。
松岡 律
兵庫教育大学連合大学院 博士課程 単位取得退学 修士(教育学)
専門は教育社会学。
新潟県立高校、拓殖大学、放送大学等の非常勤講師を経た後、平成19年より環太平洋大学専任講師として大学づくりに携わる。赤磐市教育環境整備審議会委員、備前市男女共同参画推進審議会委員等を務める。平成26年より岡山理科大学教育学部設置準備室室員。
平成28年4月より、教育学部初等教育学科准教授。
大学での学びは「○○についてもっと知りたい!」という知的好奇心からはじまります。試験に備えて覚えるだけとか、調べればすぐに答えが出てしまうようなものは、知的好奇心を満たしてはくれません。そういう学びは高校までで十分です。あるいは、専門学校であれば、例えば調理・製菓や自動車整備や理容・美容等に必要な知識・技能を1~2年間の間で集中的に身につけて即戦力になる、という学び方もありです。
でも大学というのは、学びの場であると同時に、まだ明確な答えが見つかっていないものを研究し、現時点で最適な解が何なのかを「探究」する場でもあります。
岡山理科大学教育学部では初等教育学科・中等教育学科ともに「探究ゼミⅠ~Ⅲ」を必修科目として設定していますが、この授業は「問い」を学生たち自身が設定し、その「解」を自分たちで探究していく場です。課題もゴールもない授業というのは、塾や専門学校にはありません。このような授業を設定したねらいは、学生がお互いにアイデアを競い合ったり、仲間と協力して何かを成し遂げたりするダイナミックな関係性の中で、他者の存在の重要性や自身の存在の意味、さらには今後の社会の行く末や将来の自分の生き方など、多くの事象に対して自ら課題意識を持ち、その都度「最適解を見出す力」をつけてくれることにあります。ここで考え方の基礎を培えば、他の授業や演習・実習に対しても、主体的な課題意識を持って臨むことができます。
私の専門である教育社会学でもそうですが、今ある状況に対して何の疑問も持たなければ学問は成立しません。例えば、「学力の高い子と低い子がいる」という状況について「勉強量の差でしょ」とか「やる気の問題でしょ」で終わってしまえば、それは何の洞察もないただの決め付けになります。でも、「塾に行っているか否か、塾に行くお金がある家か否か、親の学歴・職業はどうか、居住形態はどうか、家にどの位本があるか…」という風に、学力差に結びつきそうな要因を一つ一つ検証していけば、「学力格差と経済格差の関連」といった解が浮かび上がってきます。心理学、教育学、教科教育学など、他の学問分野についても同じです。「自分で問いを立てる力(疑問に感じる力)」が「学びの質(価値)」を決めるのです。
教育学部なので、教員採用試験合格という現実的な目標に気を取られがちですが、試験対策だけでは、採用されても何年か経つうちに地金が出てきてしまいます。自分で課題を見つけて動けないのです。反対に、試験合格までは苦労しても、その間にさまざまな経験を積んできた教員は10年後、20年後も力を発揮し続けることができます。岡山理科大学教育学部では、さまざまな経験+試験(就職)対策と、欲張りですが両方を狙って行きます。
卒業後・採用後も含めてサポートは全力で行いますから、常に探究する姿勢を保ち、時代の変化に柔軟に対応できる教員(社会人)を目指して欲しいと思います。