講師
古典教育の意義や古典の授業について研究しています。古典を学校教育の中で学ぶのはなぜでしょうか?「古典」だから学ぶ必要があるのでしょうか?教科書に載っている古典を「古典」と呼ぶようになったのはいつからでしょうか?誰がそれらを「古典」と決めたのでしょうか?教科書に載っている古典だけが「古典」なのでしょうか?古典を教えるとはどのような営みなのでしょうか?近年はこれらのことについて、様々な文献を参照しながら考えています。
また、『宇治拾遺物語』をはじめとして、中世説話集の表現性についても関心を寄せています。各々のテクストにはどのような表現性が見られるのか、説話集というジャンルは中世という言語場においてどのようなこととしてあったのか、そもそも「中世説話集」と一括りにできるのか否か、こうしたことについても研究を進めていこうと考えています。
私は高校生の頃、「古典」という科目が苦手でした。ですが大学で学び直すことで、現在では古典文学や古典教育について研究するようになりました。大学では自分の人生を変えるような知的体験が待っています。一緒に学ぶことを楽しんでいきましょう。
私立神戸龍谷中学校高等学校教諭、奈良女子大学附属中等教育学校教諭を経て、令和4年4月より教育学部中等教育学科 国語教育コース専任講師。
s-inamious.ac.jp